サイズ:日産 240Z 1970年モデル
ボディサイズ | |
---|---|
全長 | 4,115mm |
全幅 | 1,630mm |
全高 | 1,285mm |
ホイールベース | 2,305mm |
写真:日産 240Z 1970年モデル
特長:日産 240Z 1970年モデル
日産S30(日本では日産フェアレディZ、その他の市場ではダットサン240Z、後に260Z、280Zとして販売)は、日本の日産自動車株式会社が1969年から1978年まで生産した初代Z型スポーティ2シーターおよび2+2クーペである。日産のスポーツカー・スタイリング・スタジオの責任者であった松尾嘉彦氏が率いるチームによってデザインされた。HLS30は左ハンドルモデル、HS30は右ハンドルモデルの呼称である。
フェアレディZは、L20A型2.0リッター直6SOHCエンジン、後輪駆動、スタイリッシュなクーペボディを備えた1970年モデルとして1969年末に登場した。ダットサン510の4気筒をベースとしたエンジンは、150馬力(112kW)を発生し、5速マニュアルトランスミッションを装備していた(240ZモデルはL24 2.4リッターエンジンと4速マニュアル)。1971年からは、より一般的でない3速オートマチック・トランスミッションがオプション設定され、「Nissan Full Automatic」のバッジが付けられていた。4輪独立サスペンションは、フロントがマクファーソンストラット(ダットサン・ローレルC30から流用)、リヤがチャップマンストラットであった。フロント・ディスクブレーキ、リア・ドラムが標準装備された。
1970年モデルの初期型240Zは、Bピラーのクォーターパネルにクロームの「240Z」バッジが付いていた。リアハッチのガラスモール下には、2つの通気口が設けられていた。1971年半ばには、Bピラー・サイド・バッジが「Z」の文字入りベントにスタイル変更され、ハッチからベントが廃止された。米国仕様のデザイン変更は生産期間中に行われ、米国仕様のデザインおよび製造上の変更については後述する。
240Zと260Zは、ツイン日立1バレルサイドドラフトSUライクキャブレターを使用していた。このキャブレターは1973年モデルから排ガス規制に対応するために変更されたが、性能的には初期のキャブレターの方がはるかに優れていた。1975年、米国向け280Zにフューエル・インジェクション(ボッシュが設計したL-ジェトロニック電子制御燃料噴射)が追加された。これは主に、米国の排ガス規制を満たしながらキャブレターで十分なパワーを得ることの難しさに対処するためであった。
当時の他の外国製スポーツカー(ジャガー、BMW、ポルシェなど)に比べて比較的低価格だったこともあり、米国で人気を博し、当時北米でダットサンの名で自動車を販売していた日産自動車にとって大きな成功を収めた。240Zはまた、日本車メーカーのイメージをエコノボックスの成功の枠を超えて広げた。Zは1970年代のレースで大成功を収めた: コネチカット州のボブ・シャープや、ジョン・モートンがダットサン510のゼッケン46を駆ったボブ・ボンデュラント(ブロック・レーシング・エンタープライゼス=BRE)レーシングチームは特に成功を収めた。フロリダ州クリアウォーター(後にメリーランド州)のレーサー、ドン・カーニーは1970年から1978年にかけてZカーで大成功を収めた。Zはまた、輸入パフォーマンス・パーツ産業のきっかけを作ったとも言われている。Zカーへの関心を維持するため、日産は1998年にオリジナルの240Zを購入し、プロの手でレストアした後、ディーラーで24,000ドルで販売するというプログラムを実施した。